
人は誰でも、子供の頃に出会った言葉の中で、なぜか何十年経っても忘れられない文章があるのではないでしょうか。
私にとって、それは中国・三国時代の政治家、軍師として知られる 諸葛亮 の『戒子書』です。
私は十歳前後の頃からこの文章が好きで、全文を暗唱していました。
当時はまだ人生経験もなく、その意味を本当に理解していたわけではありません。
それでも、不思議と心に残り続けた言葉があります。
「非淡泊无以明志,非宁静无以致远」
(淡泊でなければ志は明らかにならず、静かでなければ遠くへは至れない)
若い頃、人はどうしても外の世界へ意識が向かいます。
成功したい。
認められたい。
もっと早く、もっと上へ進みたい。
それ自体は自然なことだと思います。
しかし年齢を重ね、日本で生活し、多くの人と出会い、仕事を続ける中で、私は次第に、この文章は単なる「子供への教え」ではなく、「人生を映す鏡」のようなものだと感じるようになりました。
人は忙しくなるほど、自分自身を見失いやすくなります。
社会の変化、仕事の責任、年齢による焦り、周囲との比較。
現代は情報も感情も絶えず流れ込み、心を静かに保つことがとても難しい時代です。
特に司法書士・行政書士等士業の仕事は、「一生勉強」と言われます。
法律や制度は変わり続け、社会も変化していく。
新しい知識を学び続けなければなりません。
しかし、本当の意味で「学ぶ」ということは、単に知識を増やすことだけではないように思います。
学ぶという行為は、結局、自分自身の心と向き合うことでもあります。
自分は何を大切にしているのか。
なぜこの仕事をしているのか。
何を守り、何を目指しているのか。
静かな時間がなければ、人は自分の本心を見ることができません。
欲望が多すぎる時、人は外ばかりを見てしまいます。
他人の評価、利益、見栄、競争。
けれども、その状態では、本当の意味で自分自身と向き合うことは難しいのだと思います。
『戒子書』は、諸葛亮が息子へ書き残した文章として知られています。
しかし私にとっては、「人はどう生きるべきか」を、静かに問い続ける文章です。
浮躁な気持ちになった時、心が乱れた時、私は今でも時々この文章を思い出します。
そして、自分は本当に「寧静」でいられているのか、
本当に「淡泊」でいられているのか、静かに自分へ問いかけます。
何十年経ってもなお、この文章が好きな理由は、そこにあるのかもしれません。
『戒子書』全文(中文原文)
夫君子之行,静以修身,俭以养德。
非淡泊无以明志,非宁静无以致远。
夫学须静也,才须学也。
非学无以广才,非志无以成学。
淫慢则不能励精,险躁则不能治性。
年与时驰,意与日去,遂成枯落,多不接世。
悲守穷庐,将复何及!
—— 诸葛亮《戒子书》